時間を憎む

比較的早く目覚めた朝に、電池を買いにセブンイレブンまで歩くと、道中にあやしげなおばはんがたくさん立っており、こんなところでこんな時間にたちんぼしててもお客と言ったら目の前にある精神病棟の患者くらいなもんだろうと思いながら見ていたが、どうやらおばはんどもは一様に「香城会」というプレートを弛緩しきった乳房のうえあたりにつけ、精神病院の向かいにある創価学会の建物へと導く人々のようだった。なにやら創価学会のイベントが行われるらしく、少なからぬ人々が、その建物のなかに盲目的に吸い込まれていった。ボクはだからそのおばはんどもの前を通る時には細心の注意をはらって通りすぎなければならなかった。宗教というもんは怖いもんで、なにがその教義に反するか分からず、もしかしたらちょっとした行動及び言動が創価学会の教義に挑発的な行動ととられるかわからず、そして彼女たちの気を損ねていつジーニアスほども分厚さのある経典を持ってうちに押しかけてこられるかわかったもんじゃない。

それでボクはそのおばはんどもの前を、なにも言わずなにもせずただひたすら歩くだけで通りすぎようとしたが、ここにきてどうしてもくしゃみを我慢できなくなり、ハックショイ!!と思いっきりやってしまった。まあ創価学会がくしゃみに不寛容という話は聞いたことはないものの、それでもやはりボクはそのおばはんどもがまさかり持って襲ってこないかとか、ピーーーっと笛を吹いてまわりにあるあらゆる建物からショッカーがでてこないかとかいろいろと心配したものの、どうやら創価学会はくしゃみに対してはは寛容な宗教であるらしく、なにごともなく夏の日差しにやられて化粧がはげかけているおばはんどもの前を通りすぎることができた。

そうして家に帰って、リビングで0歳児のように惰眠を貪っている奴らを尻目に課題レポートをやろうとしたが、昨日眠る前に「課題レポートとは退屈と同義じゃ」という神のお告げを聞いたので、戦争とグリンピースと退屈を最も嫌うボクチンはもう課題というか退屈とやらを放りすてて、寝ている奴らを起こして大富豪でもやろうと提案しようとしたものの、他人の睡眠を妨害することにかけては世界で一番不寛容であろうと思えるくらいに、全員が全員背中に「起こすな危険!」というプレートをつけながら眠っているので、これはまた睡眠を妨害することに関してはなんとも不寛容だなーと思ってブログに逃げた。創価学会は睡眠を妨害することにかけては寛容であろう。よほど今家で寝ている奴らのほうが不寛容であるなあ、ともうすぐ12時。

ブログと退屈も同義だそうですよ。

(7月11日 11時26分)