一行くらい読んでくれてもいいんじゃないかな

一体いつ頃からだろうか、確かな時期は定かでない。

ボクの部屋に別の人間がいつくようになった。ボクは彼の顔を知らなければ家にいつくことを許可した覚えもない。それがいつのまにか当たり前になりそのあまりの傍若無人さにボクは半ば諦めを感じるとともにただならぬ愛らしさを感じることになった。昨日はボクが寝ている間に家庭菜園グッズを買ってきてマンションの向かいにある畑で土を拝借してハーブやトマトや茄子を鉢に植えてベランダに設置した。今日の朝は学校に用事があったので出かけようとすると「いってらっしゃい!」という甲高い声が聞こえ、いつになく朗らかに登校することができた。まったくもって意図はしていないが、誰かと暮らすというのは不思議な感覚を呼び起こさせてくれるもので、楽しいやら面倒臭いやら著しいやら倦怠やら明確やら出来損ないやら愛くるしいやら鋭いやら穏やかやらしんどいやら恋しいやら典型やら、そんな感覚がひと時に襲ってくるもので、僕は疲労を禁じえない。

土曜はまたオールナイトで映画を見に行っていて、電車に乗っている最中に共に行ってた友人の携帯に後輩から電話がかかってき、「俺も行きたいっす」って言ってきたのでなんていい奴なんだろうと感激し、そろそろサークル内における西山なんとか軍団が形成されつつあるのではないだろうかと心躍らせた。池袋でそのかわいい後輩と合流し、新文芸座とかいういつもの映画館に行ってソクーロフだかダニエルカールだかなんとかいう監督の映画を見た。けれどのっけの「エルミタージュ幻想」から退屈の極みで、なにを言ってるのかさっぱりわからんし、ストーリーもくそもあったもんじゃないし、ただ100分ワンカットというただそれだけがすごいのではないかと訝った。けれどまあ100分ワンカットというのはマジですごいと思った。おそらくカメラマンとかは死んでしまったことだろう。ご冥福をお祈りします。南無。

残りの映画もどれも退屈で、もう少し体調さえ良ければ楽しく見れたかもしれないが、いかんせん人生で最も長い1週間の疲れから、4本中結局通しで見たのは1本だけで、一体俺はなにをしに池袋まで来たのかと絶望的になったが、それでも唯一の救いはボクの大好きなその映画館の職員のおっさんが茶色と黄色のボーダーロンTを着ていて、彼はプライベートではこんなにかわいい服を着ているのかと、ほんわかとした気分にあいなった。

そして日曜はとばして本日月曜は学校が急遽休みになったので、校内バイトを入れてもらい、そのために学校に行ったら後輩の女の子がPCの使い方に四苦八苦していたので、これはこれはと思って助けてあげたら、たいして感謝されなかったけれどもおそらくは素直じゃない性格の持ち主だろうと推測し、これは珍しく人の役にたったと思い、誰かのためになにかをすることができるならば、もしかしたらあと5年くらいは生きてもいいのかもしれない、と思った。もしかしたらね。

家に帰ると男が「おかえりなさい」を言い、彼のためにクラムチャウダーを作ってアジを焼いてやった。我々は一つ屋根の下で一体なにをやっているのだろうか?

(5月31日 1時20分)