人生大好き希望がいっぱいだから

今日の夜に大仕事をした。つまり、それはおそらく人を殺したのだ。彼のことは嫌いでは無かったが、どうしても憎むよりほかになかった。なによりも教壇にたってウンチクを語るその姿が許せなかった。その姿しか許せなかったと。ボクに「藤沢市の坂道は上り坂と下り坂のどちらが多いか?」と彼は聞いた。ボクは普段から坂を上るときにあくせくしてる回数のほうが多いように感じられたから「上り坂です」と答えた。すると彼は意地悪そうな笑みを浮かべこの世のものとは思えないくらい優しい声で言った「答えは同じです」

そう、勘のいい人なら誰でも気づいていると思うが、坂を上り坂と捉えるか下り坂と捉えるかはその人がどこに立っているかという視点の問題であるからして、答えは同じなのだった。その時が彼に殺意を覚えた最初だ。以降、幾度もボクは彼の下校を見計らってAXEを振り下ろそうと思った。しかし、阪神の調子がよかったから機嫌も悪くなりきれずに殺りきれないでいた。しかし今日、最後の決定的な事件が起こった。彼はまた授業中に教壇にたって、世の中の森羅万象をいかにして自己に内在化するかという、多少胡散臭い論をぶっていた。そして彼はまたボクに問うた。「鹿は英語でなんというか?」と。ボクは答えを知っていると信じていた。だからボクは揺るぎない自信を携えこう言った。「バンビです」彼はどっと笑った。堰を切ったように笑ったという表現がしっくりくる。彼しか笑わなかった。誰もが「鹿はバンビ」だと思っているからか?ボクが椅子の下に金属バットを隠し持っていたからか?おそらくは後者だった。大学生にもなって鹿のことを「バンビ」という輩などは存在しないだろうから。そして彼は言った。「ヘイボーイ、鹿はね、ディアーだよディアー。バンビはキャラクターだよ、わははは」彼の笑い方はひどく下品だ。下卑ていると言ってもよい。その時が決定的な瞬間だった。椅子の下の金属バットを手に取った。柄の部分を強く握った。右手一本でバットを持ち上げ、彼の脳天めがけて振り下ろそうとした時、隣にいたWの腹の虫が威勢よく鳴いた。「ぐう!」というそんな感じで。ボクの右手は一気に力がぬけ、金属バットの乾いた音が教室中に響いた。そして彼はいまだに教壇ではしっこに座ったかわいこちゃんの目だけを見てとめどなく喋っていた。

しかしボクの怒りは消えたわけではなかった。あそこまでの辱めを受けたのは新文芸座でカールドライヤーのオールナイトの休憩時間に友人とデイビッドリンチの「イレイザーヘッド」は極上のコメディだよな、と喋っていて、そうしたら後ろの男が「チョッ!!なんもわかってねえな前の甘ちゃんは!!」と言った時以来だ。言うまでもなくメリケンサックの鋭い部分をそいつのいとうせいこうみたいな顔一面に突き刺してやったが。

そしてボクは彼が自分の研究室からでて、駐車場へ向かう道の脇にある茂みで待機した。右手には金属バットで左手にはコーランをかかえて。17時から彼を見張り、それからの数時間、人生で最も震えた時間を過ごした。そして19時くらい(もちろん時計を見る余裕はなかったがおそらくのところ、19時くらい。もっといっていたかもしれない)、彼が研究会の美人の女の子(ボクが慕っているコ)を連れて歩いてきた。彼の右手は彼女の腰にまわっていた。彼女は特別嫌がる風でもなく微笑をうかべていた。その時にボクの右手はバットではなく激しく隆起した性器を握っていた。それを金属バットだと誤解したまま彼のところへ走った。そして金属バット(と間違えていたもの)を振り上げた瞬間、自分の股間に激痛が走った。ボクは気絶した。目が覚めた時にはベッドの脇に彼がいて、例の彼女と口付けをかわしていた。結局、ボクは敗者だった。誰も殺せなかったし、誰も愛せなかった。

とにかく今の家とお別れするのは寂しいものだ。最後に部屋のあらゆるところにキスをした。唇に埃がたまった。

(5月25日 3時05分)