一匹の勇敢な猫に捧ぐ

県道に取り残された一匹の猫の死骸。

彼の腹からはまさにホースのような小腸がとびだしており、赤い液体が暗闇の道路に垂れ流され、ボクはそれを見たとたんに吐き気を催した。グロいというような簡単な言葉では片付けられないくらいの光景を目に焼きつけ、家に帰ってからその猫のこれまでの人生を思う。その猫の名前は中山さん(仮)、彼の人生は矢のごとくすばやく過ぎ去っていった。彼について具体的なことを語ろう。彼の縄張りの近くには日本有数の設備を誇る大学が陸の孤島のように存在し、そのせいもあってか非常に広い、必要以上に広い道路が設置され、そこには役所の人間が想定したほどの交通量はなく、たまに通る自動車はドライバーの向こう見ずな運転によって完全に速度超過して彼の縄張りを過ぎ去るのだった。

ここにその大きな道路ができてから10年弱、中山さんは最初の頃は光のように速い車たちに慣れず、いつも挙動不審な表情を携えながらその道路を横切っていた。それでもなんとか10年かそこら、事故の一つなくやってこれた。もちろんこれまで危険なことや問題はあった。時には交通ルールに対する認識の差異から、ドライバーと15分もの長い時間にらみ合ったこともあった。またある時は自分が轢かれそうなのをかばって怪我をした学生もいた。しかし中山さん自身には大きな怪我はなかった。そんな風にして7年が過ぎた。そして道路ができてから7年と3ヶ月、中山さんは運命的な出会いをした。それは近くにできた海鮮料理を出す店で飼われている猫との出会いだった。その海鮮料理屋は「まるたか」といって一応のところそこの大学の学生から、食堂以外にも食事をする場所が欲しい、という要望があってできたレストランだった。中山さんはそこで飼われている三毛猫の幸子(仮)に、宿命的に惹かれていった。最初の出会いは、中山さんが大好物の魚を匂いをかぎつけて道路を渡り、「まるたか」の生ゴミ置き場を漁ってる時のことだった。中山さんが最も好む鯖の残骸を貪っているとき、背後から不意に幸子が声をかけてきた。
「おいしい?」
「え、あ、うん、た、ただ食いかけなのが残念だけれど」
「そう、アタシに言ってくれればいつだって新鮮な鯖をわけてあげれるわよ」
「え、い、いいの?」
「ふふ、あなたの目の輝きったら、よっぽど鯖が好きなのね」
中山さんはその時ひどく顔が赤らんだ。それが、幸子との最初の会話だった。その時既に、中山さんの鯖への情熱は、幸子への情熱に転化していた。

それからというもの、中山さんは幸子に会いに行くついでに、まるたかに鯖をもらいに行った。もう鯖のことは副次的なもので、幸子に会いにいくのが目的だった。しかし、まるたかがある道路の向かい側を縄張りとする中山さんは、幸子に会いに行くためには毎回馬鹿みたいな速度で走っていく車を避けながら、その馬鹿みたいに広い道路を横切らなければならなかった。しかしそれでも中山さんは幸子に会いたいがために、雨の日も風の日も、まるたかの定休日である水曜日でさえも、細心の注意を払ってその道路を横切った。

そうして2年ほど、中山さんは人生何度目かの恋とともに、その時間を過ごした。仲睦まじく体を重ね合わせ、毛づくろいをする中山さんと幸子は、誰がどう見ても幸せそうな猫の夫婦だった。しかし2年が経った頃にも、中山さんは、彼女に自分の思いを伝えられないでいた。中山さんは極度のアガリ症及び吃音症で、これまで幾度も思いを伝えようとしたことはあったが、その度に決まって言葉がうまくでてこないのだった。しかし、彼らの間にはそれなりの仲が確立していたし、そうしているうちに中山さんは今のままの状態でいいのではないか、と思うようになっていった。夫婦という立場になれなくとも、仲良く鯖をわけあい、毛づくろいをする関係で、中山さんは十分に満ち足りた。そんなある日のこと、中山さんはいつものように細心の注意を払って道路を横切り、幸子に会いに行った。しかしその日はまるたかはあいていなかった。定休日かな、と中山さんは思ったが、その日は木曜だった。幸子の姿も見えず、その代わりに店のドアに「旅行のため1週間お休みます。」という張り紙がしてあった。幸子は旅行についていっているのだろう、中山さんはそう思った。1週間彼女に会えないのは辛いことだが、1週間を無事に過ごせば幸子に会えると思うと、寂しさよりも期待のほうが膨らんだ。しかしそれは最初の日だけだった。2日目からというもの、中山さんは幸子に会えない辛さでノイローゼ気味になっていった。毛並みは荒れ、目は充血し、蓄えてあった鯖も喉を通らなかった。5日目、中山さんはもしかしたら旅行が早く終わっているかもしれない、と、道路を横切ってまるたかに行った。しかしドアには相変わらず5日前と同じように無表情な張り紙がしてあるだけだった。6日目、明日になったら幸子に会えるという期待とともに、中山さんの体は限界を向かえつつあった。まともに歩くことさえままならなかった。そこで中山さんは、自分にもしかしたら死が近づいているのかもしれない、と思った。そういった思いがよぎると、中山さんは急に幸子に自分の思いを伝えたくなった。これまでの関係に安住している場合ではない、自分はもう体力の限界だが、明日までは生きられそうだ。生きているうちになんとか幸子に思いを伝えたい、そう強く思うようになった。

次の日の朝を迎えると、中山さんは期待に胸が躍った。しかし、体のほうは言うことを聞かなかった。1週間なにも食べず睡眠時間も半分以下になった影響だった。それでも中山さんは、なんとか思いを伝えようと、夕方の6時になると自分のねぐらを抜け出し、まるたかを目指した。いつもはねぐらから広い道路まで5分もかからないのに、この日は20分以上の時間がかかった。そして最大の難関である道路に対峙した時中山さんは、右を見、左を見、車が来ないことを確認してから、右前足から道路にその一歩を踏み出した。いつものようには体が動かないながらも、その時は運よく車が通らなかったので中山さんは一歩一歩ゆっくりではあるが、まるたかに近づいていった。道路も半分にさしかかったとき、まるたかの店内には1週間前のように電気がついていて、営業していることがわかった。中山さんは心躍らせた。1週間分の苦労が報われたと思った。体もほんの少しだけだが動くようになった。幸子に会った時の第一声はなににしようかと考えを巡らせた。その時だった。暗闇に馬力のあるエンジン音が響き、一筋のライトがきらめいた。トラックはものすごいスピードで中山さんめがけて走ってきた。中山さんが体をねじった時にはもう遅かった。中山さんの人生はその時に幕を閉じた。一つの強い思いをこの世で声に還元することなく、中山さんは天に召された。その3時間後、ボクは自転車の上から中山さんの見るに耐えない姿を確認したのだった。

ボクは中山さんのその変わり果てた姿を見て気が狂いそうなくらいに気分を悪くした。それも全て無駄にそして馬鹿みたいに広い道路のせいだった。ボクの怒りは国土交通省にその矛先が向けられたが、それも意味のないことだと悟り、家までの自転車をこぐのだった。しかし、人間という大きな枠組みで捉えれば、道路を作ったのは我々人間であり、その他の誰でもなく、自分たちの作ったものに苦しめられるというこの状況は、疎外に他ならないのではないか、と思うに至った。そして我々人間が構築した様々な社会システムに考えを巡らすと、その全てにおいて我々は苦しんでおり、この世のすべてにおいて疎外という構図が成り立っている、とボクは中山さんから学ぶことになった。糞みたいな世の中だ。

ご冥福をお祈りします。

(5月14日 0時58分)