映画に愛をこめて

親に口を酸っぱくして言われた。「映画なんて見るんじゃない」って。だからボクは大学に入るまで、映画を一本たりとも見たことがなかった。タイタニックさえ見なかったし、テレビでやってる宮崎駿もご法度だった。大島渚の「御法度」は言うまでもない。その間ボクが映画について知れる情報といえば隔週で発売されるキネマ旬報のみ。もちろん親に隠れてこそこそと屋根裏部屋で読んでいた。懐中電灯とかっぱえびせんを持ち込んで。2週間に一回発売されるその雑誌が、ボクの唯一にして最大の楽しみになっていた。紙の上で笑っている俳優たちはボクをひどく興奮させた。無表情にタバコを吸い、カメラを外した視線を見せるハンフリーボガードはボクのヒーローだった。髪を短く刈り込み、冷たく笑うジーンセバーグはボクの空想上の恋人になった。けれど、いくら映画のワンシーンを切り取った雑誌を読んでいるところでストーリーはさっぱりわからない。ボギーがどんな声をしてるのか、ジーンセバーグがどんな風に笑うのか、そして彼らはどんな物語の中で生きているのか、それは全てボクの頭の中で展開されたことだった。けれどもボクは、キネ旬の定期購読を止めなかった。どんなに映画が見れなくても、いつかいつの日か、映画館で満員の観客とともにニンマリ笑顔を作ることを強く信じていた。そんな風にしてボクは10代を過ごした。そして大学に入学する直前、ボクに転機が訪れた。それは3月にしては気温の高い満月の夜だった。父はボクを書斎に呼び寄せ、こう口を開いた。

「俺がお前に映画を見せなかったのには、理由がないわけではない。俺は今、大阪市役所で公務員をやっているが、昔は、ある劇団に入っていた」

その告白はボクにとって予想だにしないことだった。なぜなら父は市役所に行って帰ってきて巨人戦のナイターを見るだけの判で押したような規則正しい日々を退屈そうに、物憂げに過ごしていたからだ。そして父はこう続けた。

「ある日、その劇団、というか俺個人に、映画のオファーがきた。それは千載一遇のチャンスだった。当時は劇団ブーム、何百万人という学生が自分の演技で映画出演を果たし、世間を認めさせようと躍起になっていた時代だった。言うまでも無く、俺もそのひとりだった。俺はそのオファーを断る理由など微塵もなく、そして映画に出演した。出演した映画は学生闘争から一歩ひいた視点というか、率直に言うとそういったものを馬鹿にしながら過ごす学生たちの青春群像だった。脚本もよかった。当時としては学生のほとんどがマルクスレーニンを神のように崇め、セクトに分かれては闘争を繰り返しているような日々だった。そんな中で闘争を冷めた目で見つめたような映画、文学は稀有なものだった。それは時代を先読みしていた。たとえ今は認められなくとも、何年か後、この映画が記念碑的作品になるとスタッフ、出演者の誰もが信じて疑わなかった。そして撮影は始まった。撮影を通じて、闘争を冷めた目で見つめている人間たちが、闘争に対する憎しみや嫌悪感を共有した。そこには別の熱さが生まれていた。そして誰もが時代の先端を走っているという自負と優越感を持っていた。そうして我々はすぐに意気投合した。毎日が楽しくて仕方なかった。撮影が終わっても誰かのうちへ行って朝まで騒いだ。次の日に朝から撮影があっても苦にならなかった。我々は全てを分かち合っていた。食料を、衣類を、住まいを、そして心を。そんな状況だったから自然と恋も芽生えた。そのコミュニティの中で、何組ものカップルが誕生した。その何組かは今でも仲良くやっている。そしてそれは俺も例外ではなかった。カメラの助手をしている小柄で気丈な女の子を好きになった。そして自然とお互いを理解しあうようになった。撮影が3週間を迎えた夜、みんなで近くの川に泳ぎに行った時に、人目を盗んで我々は文字通り体を一つにした。それはこの世のものとは思えないくらいに素晴らしい出来事だった。奇跡が起きたと、頭の悪かった当時は、本気で信じた。それから我々は、お互いの体を貪欲に求めあうようになった。来る日も来る日も、撮影が終わったあと、どちらともなく求めた。誰も文句を言うものはいなかった。誰もがそういったことを理解していた。誰もが寛大で優しく面白く、世界一のコミュニティだと断言できた。そんな風にして、撮影は順調に進んでいった。この映画は内容上、公開までは秘密裡に撮影を行っていた。いつ内容を知った武装集団が襲ってくるかわからないからだ。しかし、撮影が終盤、いやロケのほぼ最後の日に差しかかったとき、どこから情報が漏れたかは未だにわからないが、○○大学の過激セクトが撮影現場を襲いにきた。我々は突然の攻撃になす術がなく、彼らにされるがままだった。火炎瓶を投げられ、鉄パイプで殴られ、俺の足に残っている大きな傷も、その時ついたものだ。映画の撮影は中止を余儀なくされ、我々はその日のうちに病院でこのグループの解散を決めた。解散せざるを得なかった。まともに体の動くのは俺とあと一人のタイムキーパーくらいだったからだ。それだけ大きな打撃を受けたにも関わらず、幸運にもその時点では死んだ人間はいなかった。当時は闘争で死者が耐えない時代だったことを考えれば、不思議だと言っても過言ではないかもしれない。しかし、さっき「その時点では」と言ったように、しばらく経ってから死んだ奴がいた。直接の原因がそれかは分からないが、それが無ければおそらく生きていただろう。それが、俺の恋人だった女の子だ。彼女は頭を鉄パイプで数発殴られ、体にも大きな傷を10ヶ所も作っていた。彼女はしばらくの間入院した。その間に、彼女は妊娠していることがわかった。もちろん俺の子だ。お腹の子が死ななかったのは奇跡だった。しかし、医者はその体では産むのは無理だと言った。生めば母親が死んでしまうと断言した。しかし、気丈な彼女は、産むと言ってきかなかった。決して口にはださなかったが、俺のことを心の底から愛していたから、そして攻撃を受けたにも関わらず、お腹の中で修羅場を奇跡的にくぐりぬけた子がいたからだろう。俺は彼女の意志を尊重した。医者も最後には折れる他なかった。そして入院から5ヶ月後、彼女は子供を産んで死んだ。2000グラムに満たない未熟児に近い男の子だった。もちろんそれがお前だ。それからというもの、当然のことだが、俺は映画を一切見なくなった。見なくなっただけでなく、嫌いになった。映画さえなければこんなことにはならなかったからだ。そして息子であるお前にも、過剰なまでに映画を見ることを禁じた。すこしやり過ぎかとは思ったが、俺の記憶が言うことをきかなかった。だが、最近になってやはり血は争えないことがわかった。屋根裏に山積みになったキネマ旬報を見つけたんだ。お前はこれから大学生だ。好きなように映画を見ればいい。俺はまだ見る気にはなれないが、いつの日か、お前と映画を見ることができたらいいな、と思う。」

その日からボクは乞食が食料を貪るように映画を見始めた。これまで頭の中で物語を勝手に作っていたにも関わらず内容に失望することなどほとんどなかった。そして昨日は、恵比寿のガーデンシネマでウディアレンの新作を見た後、池袋の文芸座で、ガレルカラックスナイトを見てきた。映画っていうものは相も変わらず人間の作った最高のカタルシス提供装置だと思う。

ウディアレン
さよなら、さよならハリウッド


ガレル、カラックスナイト
「白と黒の恋人たち」「夜風の匂い」「孤高」・・・ガレル
「ポーラX」・・・カラックス

ボクの映画を見るきっかけばかりを話して長くなってしまったので、上の映画の感想はまた明日にでも更新しようかしらん♪

(5月8日 23時52分)